お釈迦様の説かれたこと

お釈迦様は、葬式も法事もされず、いったい何をなされたのでしょうか?

それは、すべての人が本当の幸福になれる道を説き明かされること、ただ一つでした。

 

 

どんな人も幸福を求めて生きている

どんな人も幸福を求めて生きています。

これに異論を唱える人はないでしょう。

 

ところが、現代人は、昔に比べたらいろいろなものに恵まれていながら、幸福を味わえず、苦しみ悩んでいる人ばかりではないでしょうか。

 

私たちの日常には、
「なぜか満たされない」
「何となく不安だ」
と絶えず小さな不安や不満があります。

 

それを解消するため「金があればなぁ」「家族さえいれば」「有名になりたい」「出世したい」「家を持てたらいい」「恋人が欲しい」など、欲望の赴くままに、あくせく求めています。

 

もし金や物、名誉や地位のないのが苦しみの根元ならば、それらに恵まれた人生は、喜びに輝いているに違いありません。

 

表面上は恵まれていても、なぜか持て余し、幸福感を持てずにいる人が、世の中には実に多くあるようです。

「功成り、名遂げた」は、古くは戦国武将、今なら政治家や大企業の創業者に使う形容詞。

 

松下電器の松下幸之助さんは、その筆頭に挙がる一人でしょう。そんな幸之助さんが最晩年に人生を振り返り、自分が最もやりたかったことを何もしなかったような気がする、という意味のことを述懐したといわれます。

 

ある作家はこれを評して、
「彼はもう、はたらかなくてもよくなったのちも、いつまでも埋まらない心の空洞を埋める作業をやめられなかったのだろう」
と述べています。

 

若いころ、300人ほどの従業員とともに働いていた時分がいちばん楽しかった、という幸之助氏の言葉を聞くと、人間の幸せとは一体何なのか、だれしも考えさせられます。

 

 

苦しみの真因と解決の道を説かれたお釈迦様

仏教を説かれたお釈迦様は、次のように教えられています。

 

「田無ければ、また憂いて、田有らんことを欲し、
 宅無ければ、また憂いて宅有らんことを欲す。
 田有れば田を憂え、宅有れば宅を憂う。
 牛馬・六畜・奴婢・銭財・衣食・什物、
 また共にこれを憂う。有無同じく然り」

(大無量寿経)

 

「田畑や家が無ければ、それらを求めて苦しみ、有れば、管理や維持のためにまた苦しむ。そのほかのものにしても、皆同じである」

 

無ければないことを苦しみ、有ればあることで苦しむ。有る者は"金の鎖"、無い者は"鉄の鎖"につながれているといってもいいでしょう。材質が金であろうと鉄であろうと、苦しんでいることに変わりはありません。

 

これをお釈迦様は「有無同然」といわれました。

 

どんなにお金を手に入れても、仕事で成功を収めても、苦しみ悩みの根元を知って、それを取り除かないかぎり、ポッカリとした心の空洞は満たせません。

 

苦しみの原因を正しく知らなければ、本当に苦を抜くことはできません。それがかなわなければ、本当の幸福が与えられることもないでしょう。

 

肉体の病気でも、病因を正しく知らなければ、全快はできません。

例えば「腹痛」といっても、胃なのか、腸なのか。腸にも大腸、小腸、十二指腸とさまざまな部位があります。胃でも、軽い胃炎から潰瘍、末期ガンまで、症状は幾通りもあるでしょう。それらを的確に診断しなければ、痛みも癒えず、苦しむばかりです。病因を正しく突き止めることが、治療の先決問題だと分かります。

 

人生も同じです。

苦しみの真因が分からなければ、人生の苦悩の解決は決してありません。

 

お釈迦様は、人生を苦に染める本当の原因と、その解決の道一つを教えられました。

これが仏教です。

 

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