浄土真宗を慕う作家・吉川英治の警鐘

「私は、何と言うことなく、親鸞が好きだ、蓮如が好きだ。好き、嫌いで言うのは変だけれど、正直な表現で言えば、そうなる」

 

作家・吉川英治の言葉です。

 

吉川 英治、最初の作品は『親鸞記』でした。
40代になってから、再び、小説『親鸞』を書いています。
 

それほど親鸞聖人のファンだと自負する吉川英治は、しかし、次のように嘆いています。

 

少し長いですが、その言葉から伝わってくる強いメッセージに耳を傾けなければならないと思うのです。

 

「法然出でよ、親鸞出でよ。蓮如、今日に生れよ。なんて、そんな大それたことを、今日の教団に向って、私はねがわない。到底、失望しているからである。――が、せめて、末法的なら末法なりに、蓮如さんの草鞋の一そく分ぐらいな慈悲をもつ人はあっていいはずと、たれもおもうであろう。ことし、蓮如上人の450年の大遠忌と聞くにつけても。

 真宗の教義も、仏教全般にわたっても、専門的には、よくわからないが、わたくしにも、もしここに、蓮如さんでもいたら、あまえてもみたい、嘆いてもみたいような、孤寒な心が、たしかにある。

 わたくしは、何ということなく、親鸞がすきだ。蓮如がすきだ。すき、嫌いでいうのはへんだけれど、正直な表現でいえば、そうなる。

 蓮如のすきな点は、仏法も世すごしも、かろがろと言っている、あの明るい無態度がいい、何か訊いてくれるだろうと、夜がたりの膝を交じえ、人々が固くなったり、眠気をこらえているむなしさを見て、慈愛のやりばを託っている。あの親切なおもいやりの温かさがなつかしい。

 言えばきりもないが、伝わる画像をみても、あの福々しさは、どうであろう。貧乏や迫害や、人の世の艱難は、時をかえ、形をかえ、幼少から老年まで、たえまなくこの餅肌のように、ふッくら肥えた体躯の持主に挑みかかったが、この人はいつも、右の耳たぶにあったという大きないぼを指のさきでまさぐりながら、いかなる困難にも、ひしげたことがない。書を読む油が買えなくても、彼には貴人の風があった。

 蓮如の持っていたのは、わずかなる弟子、信徒と、裸馬の一足の草鞋とだけだった。

 

 が、庶民は、この人を、光とした。

 けれど、法然に起り、親鸞を祖とし、蓮如によって、中興を見、今日まで庶民に〝たのまれ〟て来た宗教としては、いまはよほどな考え時――と、私には考えられる。蓮如上人の大遠忌を修行するというにつけても、その蓮如をいまに偲ぶにつけても、私は考えられてならない。これでみな、浄土真宗の宗教家として、安んじて居られるのだろうかと、ふしぎにさえおもわれる。

 たとえば、敢て、本願寺とあきらかにいうが、その本願寺が、四世紀にもわたる長い間、今日までの栄誉と、荘厳と、安住と、尊敬とを、世表のうえにうけてきたのは、ひとえに庶民の力によるものではなかったろうか。平たくいえば、信徒の親代々、家代々の浄財による支持、素直なる尊敬、それであった。

 なぜことしも、蓮如の大遠忌などをやるのだろう。いや、大遠忌はけっこうである。が、依然たる大伽藍の荘厳と、儀式と、むなしい法会修行の群集をほしがるような形式を捨てないのであろうか。私には、わからない。

 仏教の慈雨は、そんなことで降らないとおもう。仏教のさかんとは、そんな作った光栄や、演出ではないとおもう。目には見えず、しかも急速に、真宗崩壊の音が、どこかでするばかりである。本願寺のもつ使命の晩鐘とならなければ倖せである。

 私はもう、歯に衣着せずに言っておく。今にして心から醒めなければ、ああ勿体ない、本願寺は、地上からなくなるだろう。

 教行信証や、御文抄や死も生もない〝いのち〟をもった不滅の文字は、ただ心あるもののみには持たれて残りもしようが、伽藍、及び教団のごときは、いくらその大を恃みにしてみたところで潰え去るであろう。なぜならば、元々、庶民の中に芽ばえ、庶民によって、育てられ、愛され、敬され、維持されて来たものであるから。

 どんな大きなと凡愚にはおもわれるものも、形のものは捨て去るに惜しみはない。むしろ、捨てきってこそ、新しいものが、きっと生れよう。今日の仏教全体のかたちなるものはすべて悉く古くさく、旧態旧臭で、新しい世人の人々には何らの魅力にはならない。江戸時代から明治以降の、長い沈滞文化期にそうなってしまったのである。

 古いものすべてが黴るのではない。永遠な〝いのち〟あるもののみが、つねに新鮮なのである。末法、すたれたりといえ、その意味から言えば、親鸞、蓮如の遺語、遺文のうちには、人類とともに〝いのち〟かぎりなき珠玉は無数に、今日もそのままあるのだ。
                                  (折々の記)


吉川英治の、親鸞聖人、蓮如上人を慕う気持ちがひしひしと伝わってくるではありませんか。

 

親鸞聖人、蓮如上人の御心にかなう浄土真宗の住職としての役割を、よくよく考えてみる必要があるでしょう。

 

このサイトには、浄土真宗の住職が御門徒に伝えていくべきことを、学べるページも設けています。ご参照ください。

 

>> 浄土真宗Q&Aコーナー

 

吉川 英治、最初の作品は『親鸞記』でした。
後年四十代になってから、再び、小説『親鸞』を書いています。

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コメント: 1
  • #1

    きこ (木曜日, 30 7月 2020 15:32)

    私の母の実家は浄土真宗本願寺派のお寺です。母方の祖母の実家も同じ宗派のお寺です。お寺に近いからこそ その現状に疑問を抱いていました。正に吉川英治さんのお言葉は私の思っていたことでした。世にいう葬式坊主に甘んじて、自分を檀家の上に立つ存在であると思いあがるような住職であれば 残念ながら先はないものと思っています。