親鸞聖人のご布教

浄土真宗の住職として、親鸞聖人のなされなかった葬式や法事を生業としていては、親鸞聖人に申し訳ないばかりです。

 

もちろん、葬式や法事をすることが悪いことだというのではありません。

住職の使命は、親鸞聖人の教えを御門徒にお伝えすることですから、葬式や法事をご縁としてなすべきことは、親鸞聖人の教えをお伝えすることです。

 

御門徒の方々から聞こえてくるのは、

「教えはまったく知らない」

という声がほとんどです。門徒総代でも「私も教えのことはわからない」と言われる方が多いでしょう。浄土真宗の御門徒でありながら、教えをまったく知らないということであってはなりませんから、住職は御門徒が分かるように教えをお伝えすることが求められます。

 

ここでは、親鸞聖人は、どのようにご布教なされたのか、親鸞聖人の関東でのご苦労をふり返ってみたいと思います。

 

雪を褥に石を枕に休まれる親鸞聖人

40歳を過ぎられた親鸞聖人は、還暦過ぎまでの約20年間を関東で過ごされました。
鎌倉に幕府が開かれたとはいえ、関東では飢饉も頻発し、荒れ果てていました。

関東でのご布教には、さまざまなご苦労があったに違いありません。

中でも、有名なのは日野左衛門の済度のエピソードでしょう。

それはある年の11月27日、お弟子の西仏房と蓮位房を引き連れて、常陸(茨城県)の東北部へ旅立たれた時のことでした。
夕暮れ時から吹雪となり、親鸞聖人のご一行は、道に迷ってしまわれたのです。

宿を探そうにも人家が見当たりません。
途方に暮れておられた時、やっと一つの明かりが見つかりました。
猟師の日野左衛門の家でした。

家の中では、日野左衛門が酒に酔い、
「おい、もう一杯」
と、妻のお兼に、杯を突き出している。

そんな時、玄関の戸をたたく音がした。

お兼が戸を開けると、そこには親鸞聖人と西仏房、蓮位房の姿があったのです。

「夜分遅くに申し訳ない。
 道に迷い、吹雪で難儀しておる者です。
 一夜の宿を、お願いしたいのだが……」
と西仏房が事情を話すと、奥から日野左衛門の怒鳴り声が聞こえてきました。
「ダメだぞッ!お兼!」

「ならば、お師匠さまだけでも」
蓮位房が重ねて頼むと、日野左衛門がナタをつかんで戸口へやってきました。

「だめだ!だめだ!おれは、坊主は大嫌いなんだ!」

日野左衛門は、怒鳴り散らして追い返しました。
「この野郎、早く、出ていけ!」

親鸞聖人ご一行は、やむなく門の下に寄り添っていてつく夜を明かされることになったのです。

親鸞聖人は、門扉をとめる石を枕に休まれましたが、お体には雪が降り積もっていきます。
「お師匠さま、お寒いでしょう」
気遣うお弟子に、親鸞聖人は、 

 

「寒くとも たもとに入れよ 西の風
 弥陀の国より 吹くと思えば」

 

と詠まれたといいます。

阿弥陀如来からお受けした、大きなご恩を思えば、物の数ではない、との御心です。

夜も更け、雪は深々と降り続きます。

 

仏法嫌いの日野左衛門が親鸞聖人のお弟子に

『枕石寺御絵伝』によれば、この時、家の中で眠る日野左衛門は霊夢を見たといいます。

雲に乗った人が現れ、次のように告げられました。

「日野左衛門よ。
 今、汝の門前に、尊い方が、休んでおられる。
 直ちに参って、教えを受けよ。さもなくば、未来永劫、苦患に沈むぞ」

驚いた日野左衛門は、飛び起きて門へ走りました。
酔いのさめた日野左衛門の目に映ったのは、雪の布団をかぶったように横たわっておられる親鸞聖人のお姿でした。
降りかかる雪を必死に防いでいる二人の弟子も、雪像のように動きません。

日野左衛門とお兼はすぐに、親鸞聖人ご一行を家の中に案内しました。

ところが、家の中で親鸞聖人は、大変なお疲れであったにもかかわらず、日野左衛門夫妻に仏法を伝えられました。

大慈大悲の阿弥陀仏のご本願を知らされた日野左衛門は、親鸞聖人のお弟子となり、入西房と名を改めたのです。

入西房は、自宅を皆で仏法を聞かせていただくための聞法道場とし枕石寺と名づけました。

どうしたら阿弥陀仏の本願をお伝えできるか、親鸞聖人のご布教のご苦労に涙せずにいられません。

浄土真宗の住職は、そのような親鸞聖人のお姿を心に刻んで、親鸞聖人の教えを御門徒に伝えていかねばなりません。そのためにも教えに疎いようなことではいけないのです。

 

>> 蓮如上人のご布教

 

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コメント: 1
  • #1

    小野 新吉 (月曜日, 03 10月 2016 11:32)

    映画 なぜ生きる。を2度程、拝観させていただきました。涙がこぼれ止まりませんでした。また思い出してしまいました。